◎神無月
日本では明治5年(1872年)まで太陰太陽暦(旧暦)が使われていて 、月の呼び名は一月二月……ではなく、それぞれに和風の呼び方がありました。和風月名(わふうげつめい)と言います。
和風月名は、季節感や行事・風習を表現していて、とても趣きが感じられます。現在でも月の別名として使われることがあります。また、人の名前や俳句・短歌にもよく使われ、競馬のレース名や会計ソフト名などにも名付けられていて、意外と生活に溶け込んだ言葉になっています。
一月 睦月 (むつき)
二月 如月 (きさらぎ)
三月 弥生 (やよい)
四月 卯月 (うづき)
五月 皐月 (さつき)
六月 水無月 (みなづき)
七月 文月 (ふみづき)
八月 葉月 (はづき)
九月 長月 (ながつき)
十月 神無月 (かんなづき)
十一月 霜月 (しもつき)
十二月 師走 (しわす)
この中の十月・神無月についてお話しをします。
神無月、神様がいない月という意味です。実は十月は日本各地に住む神様たちが、ある一ヶ所に集まるのです。その場所は出雲大社(いずもたいしゃ)、島根県・出雲地方にある神社です。神様たちが出雲に行ってしまうので、十月の日本各地は”神がいない” 神無月になるというわけです。
神様たちは出雲に集まって何をするのでしょうか。それは、会議をして様々な取り決めを行うのです。議題は、国の繁栄や安寧、五穀豊穣、そして重要なのは「縁結び(えんむすび)」です。
縁結びとは、人と人の縁を繋ぐことで、特に結婚に関して多く使われる言葉です。出雲大社に祀られているのは大国主命(おおくにぬしのみこと)、縁結びの神・福の神として親しまれています。台湾で言えば月下老人です。
十月は神様が出雲に行ってしまうので神無月。それでは、神様が集まる出雲では何と言うのでしょうか。実は出雲地方では、十月のことは「神在月(かみありづき)」と呼ばれているのです。
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日本到明治5年(1872年)為止,一直使用著舊曆,月份的念法也非一月、二月,而是各自有著和風的念法,稱作和風月名。
和風月名體現出季節感、活動、風俗習慣,特別能感覺到箇中樂趣,即使到現在,也還是會被當作月份別稱來使用。還有就是人名、俳句或短歌上也經常被使用,賽馬比賽或會計軟體的名字等等,也會以此來命名,意外的變成溶進你我生活中的詞語。
一月 睦月 (むつき)
二月 如月 (きさらぎ)
三月 弥生 (やよい)
四月 卯月 (うづき)
五月 皐月 (さつき)
六月 水無月 (みなづき)
七月 文月 (ふみづき)
八月 葉月 (はづき)
九月 長月 (ながつき)
十月 神無月 (かんなづき)
十一月 霜月 (しもつき)
十二月 師走 (しわす)
針對這之中的十月(神無月)來說
神無月,意旨神明不在的月份。其實是在十月居住日本各地的神明們,會一同聚集在某一處所,這個地方就是位於島根縣出雲地區的出雲大社,也因此十月份日本各地變成神明們都不在的「神無月」。
究竟神明們聚集在出雲是要做什麼呢?這是為了要召開會議以實行各式各樣的規定,討論的議題包括國事的興榮及安寧、五穀豐收,再者是最重要的「結緣」。
結緣是指,將人與人間的緣分相繫,是特別在與婚姻相關上經常被使用的詞語。出雲大社中被祭祀的神明是作為結緣及納福之神而為人所知的大國主命,在台灣的話就是月下老人。
十月因為神明去了出雲所以為神無月,但在神明聚集的出雲又會怎麼說呢?事實上在出雲地方十月會被叫做「神在月」。