隣の芝生は青い(となりのしばふはあおい)
外國的月亮比較圓 (別人的東西總是比自己好)
「隣の芝生は青く見える」とも言います。我が家の庭の芝生より隣の家の芝生の方が青々としていて綺麗に見える、という意味です。
這句諺語也可以說成「隣の芝生は青く見える」,意思就是別人家的草坪看起來比自己的來得翠綠
自分の物よりも他の人の物の方が良く見える、自分より他人の方が輝いて見える……そういったことはよくあることです。たとえ自分の方が優れていたとしても、何だか他人の方が良く思えてしまうのです。
人們常常會認為他人的東西比自己的好,比起自己,他人看起來更加耀眼。就算自己其實更勝一籌,仍然還是會認為別人比自己好。
このことわざは、そんな羨望や嫉妬心や劣等感を表現しており、また、そうした心理に陥らないようにとの戒めを含んでいます。
此諺語表現出了對他人的羨慕、嫉妒心以及自卑感,也含有勸戒人們不要陷入這樣的負面心理狀態的含意。
特に最近はSNSを通して、他の人のやや誇張された情報に接する機会が増えています。そのため他人ばかりが良く見えて、自己肯定感が低くなるという現象も起きています。「隣の芝生は青い症候群」 はまさしく現代病と言えるでしょう。他人と比べずに「自分は自分」の気持ちでいたいものです。
尤其現今通訊軟體發達,比起從前會更頻繁接觸到他人過於誇大的資訊。因此,更容易產生他人看上去都光鮮亮麗,而使自信心低下的現象。「外國的月亮比較圓」可以說是一種文明病了。應該別跟他人比較,而是認同現在的自己。
[由来]
元々は英語のことわざです。「The grass is always greener on the other side of the fence」(塀の向こう側の芝生は、いつも青い)
這句原本是英文的諺語。「The grass is always greener on the other side of the fence」(在圍籬另一側的草坪總是比較綠)
[例文]
※インスタで同級生の生活ぶりを見ていると、どうしても「隣の芝生は青く見え」てしまう。
※每次在IG上看見同學的動態,都會感到「外國的月亮比較圓」,心生羨慕。
※君は彼を羨ましいと思ってるけど、「隣の芝生は青く見える」もので、実は彼も君を羨ましがっているかもしれないよ。
※雖然你很羨慕他,但是你在他眼中說不定也是「外國的月亮比較圓」,其實他也在羨慕著你。
※「隣の芝生は青い」って言うけど、やっぱり我が家がいちばんだね。
※雖然都說「外國的月亮比較圓」,但我覺得自己家才是最好的。
ところで、芝生は緑色なのになぜ青いと言うのでしょうか。
話說回來,草坪明明是綠色的,為什麼在諺語裡卻成了藍色(青い)呢?
昔の日本には、色を表す言葉は、「赤」「白」「黒」「青」の基本的な4色、プラス「黄色」「茶色」の計6色しかありませんでした。ちなみに、これらの色は今でも特別で、「い」を付ければそのまま形容詞になります。
在日本古代,形容顏色的詞語只有基本的「赤」「白」「黒」「青」4色,再加上「黃色」「茶色」總共6色而已。順帶一提,這些顏色到現在也十分特別,只要加上「い」就能直接變成形容詞。
色の数が少ないと、ひとつの色が示す範囲は広くなります。「青」の中には「緑」や「紫」などの色も含まれていました。青色を見ても、緑色を見ても、紫色を見ても、全て「青」と表現していたのです。緑色であっても青葉、青りんご、青葱、青汁と言ったり、交差点にある緑色の信号を青信号と言ったりするのはその名残りです。
形容顏色的詞語較少,一個顏色的涵蓋色域範圍就會較廣。在「青」之中就包含了「綠色」以及「紫色」等等。不論是看見藍色、綠色、還是紫色,都會以「青」來形容。例如青葉、青蘋果、青蔥、青汁,紅綠燈的綠燈也被稱為「青信号」都是受到了從前的影響。
また、「青い」には「若々しい」「みずみずしい」といった意味合いがあります。「青い芝生」の意味は、緑色が強く元気で綺麗な芝生ということになります。
另外,「青い」也有著「年輕的」、「鮮嫩的」之意。所以「青い芝生(青青草地)」的意思便是鮮綠青翠的草地。